花が咲かない椿
作品紹介 > 月の精アリサと七つの夜の物語 > 番外編 > 第零夜 星の確証




「いくら罪人の子とはいえ、追放なんてひどすぎます!」
 亡き王の姉君は気の強い人だった。加えて縦にも横にも大きいので主張に迫力がある。「ひどすぎます」と詰め寄った拍子にドレスの胸元をとめていたボタンがぴしんとはじけ散り、黒の大理石の天井に張りついて銀の満月となった。
「しかし月連邦裁の判断なのだから仕方あるまい」
 一方で彼女の夫であるフェガル公は小柄で痩せぎすの中年紳士だった。国務の代行も含めてこのところに起こった出来事の後処理がすべて自分に降ってきたからか、よりいっそう頬はこけ、無精ひげがあごを覆い、自慢のフロックコートはところどころにしわがよっている。 そしてまた深くため息をついた。
「王はそれでも自らの行為の正当性を主張し続けて自死し、王妃も後を追うかのように産後の病で亡くなるとは。まったく不幸な星の下に生まれた子だ」
 主を失ってがらんとした円形の王の間には、姉夫妻が腰を下ろす半円のテーブルのほか、三日月を模したゆりかごが置いてあった。ゆりかごの中にはピンクの服を着せられた赤ん坊が眠っている。
「相当なお悩みを抱えておられるようですね」
 その声にフェガル公が振り返ると、一人の青年が入ってきたところだった。
 背は高く、濃紺の髪と瞳を持ち、端正な顔立ちをしている。編み上げ襟の服に長い金色のベストを羽織り、ゆったりとした白いパンツに身を包んでいた。
「……エリス王殿。ご来月に気づかずとんだ失礼を」
「お構いなく。跡継ぎを定めぬまま先代の王が急逝されるという前代未聞の事態ですから混乱するのも無理はありません」
 王と呼ばれるには若すぎると思われる彼は、胸に手を当てて弔問の意を示した。左目にかかりがちな前髪を手で払いのけるたびにきらきらと金の星屑がその場を舞う。
「よその星からやって来た身で差し出がましいようですが、お二方の面持ちからするとこの星の行く末以外にも問題があると見えます。一体何があったのです?」
「実は……」
 フェガル公に代わって経緯を打ち明けたのは姉君の方だった。一通り話を聞き終えると、エリス王はなるほどと頷き、ゆりかごに目を落とした。
「要するにこの子の処遇をめぐって心を痛めているというわけですね。氷しかない冥王星に追いやるなんてあまりにも酷だ」
「ですが妻の申したとおり、この子の父親は月の王でありながら、太古から続く我らが星の存亡をゆるがしかねないことをしでかしました。本来なら一人娘どころか私たち王族全員が追放されかねない事態で……」
「いろいろや決まりやしがらみはあるのしょうが、フェガル公殿。あなたも少しはご自分の考えをお持ちになってみてはいかがですか。僕が確実だと思うのは、赤ん坊に罪はないことと。それから──彼女はとっても綺麗な女性になるということ」
 いつの間にか赤ん坊は眠りから覚めていた。ぱっちりとした銀色の目をエリス王にまっすぐ向け、ア~と嬉しそうに声を上げた。肌は透き通るように白く、生まれて間もない割にはしっかりとした銀色の髪が生えていた。光の当たりようによっては金色にも見えた。
「こうするのはどうでしょう。王が星の掟を破ってでも危機を救おうとしたあの星に、この子を使いに出すというのは」
「地球に、ですか?」
 信じられないという表情でフェガル公は問い返した。
「かねてからの偵察のとおり、あの星にはろくな輩がいない。自らの利益のために空を汚し、海を汚し、大地を汚し──おまけによその星まで侵略しようと一時期は月にまで乗り出してきた。やつらにとっての月は、昼は灼熱地獄、夜は極寒の穴ぼこだらけの荒れた衛星でなくてはならない。我々の存在を知られないようにすることが王族の最大の使命だというのに」
「みんながみんな悪者とは限りませんよ。亡き王は聡明かつ寛大で、僕も非常に尊敬していました。月世界がこれまで密かに栄えてこられたのもひとえに彼のおかげと言ってよいでしょう。その彼が地球人の前に姿を現した上小惑星の衝突を予言し、人々を避難させた。結果的に先方の気まぐれで経路がずれたおかげで予期した事態は起こらなかったわけですが……。
 そこまでのことをしようとした理由がきっとあるはず。僕はあの星を確かめたいのです。どうかこの子を託してもらえませんでしょうか」
 王の間の壁はすべてガラス張りで、遠くに青と白と緑の惑星が見えた。真ん丸ではなく細く弓なりに欠けている。月から見える今夜の地球は、三日月ならぬ「三日地球」だった。
「銀河系を支配するエリス星の王の具申ともなれば、頭の堅い連邦裁も動く可能性はある」
 しばらく頭を抱えていたフェガル公はようやく口を開いた。
「だが具体的にはどうするのです? 権力を持った連中のところにでも送り込んで様子をうかがわせるおつもりで?」
「いえ、こう言っちゃ悪いが年取ったお偉いさんは先が見えていますから」
 とエリス王は冗談めかして笑った。
「むしろこれから成長して将来の地球を担う若者に会ってもらいたい。彼もしくは彼女が何を思い、何を考え、もしもの時にどういった振る舞いをするのか……。少年少女の姿にあの星の本質を見てみるとしましょう」
 彼はゆりかごから赤ん坊をそっと抱き上げ、王の間の出口に向けて歩き出した。
「この子も赤ん坊じゃ何もできやしない。二十半ばのお嬢さんになってもらって、小さな少年と母親だけの家庭にでも世話をしに行ってもらうとするか。楽しいことばかりじゃないだろうけど、きっと彼女にとっても大切な経験になる」
「お待ちになって、エンディミオン様」
 姉君がエリス王を呼び止める。「そうしてもしもアリサがよい娘に育ったら、あなたの嫁に迎えてくださいます?」
「えっ?」
「聞くところによるとほうぼうの星々からの縁談を断っているそうじゃありませんか」
「……まぁ、考えてもいいでしょう」
 したたかな目配せを受け、彼は恥ずかしげに微笑んだ。
 そうしてアリサと名付けられた赤ん坊とともに王の間を後にした。
「よき夜を」
 
(了)


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