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ミリオン・クレイン バックステージ
Million Cranes, The backstage of Someya Chiduru

#5 エンディング終了後~そして次のステージへ

エンディングシーンの続きを少しだけ書いてみました。
本編を読了した方向けですがよろしければどうぞ。

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「お母さーん!」
 ワインレッドの七分袖のワンピースですぐに分かった。予告どおり駆け寄って思いっきり抱きついた。
「千鶴。ただいま」
 お母さんはスーツケースを持っていた手を離し、あたしを抱きしめ返してくれた。
「ごめんなさいね。いろいろと大変な思いをさせてしまって」
「ううん、いいの。おかげさまで担任の英語の先生に音楽の授業までしてもらったし。それに――」
 感極まったあまり目からこぼれた涙をぬぐうとえへっと笑ってみせた。
「なんだか図書館の本を全部借りたぐらいたくさんの物語を読んだような気がする。いろいろあったけど楽しい二年間だったよ。特に二年目の一年間。いろんな人に出会えて、いろんなことができて……。音楽って楽しいよね。でも生きてるってもっともっと楽しくて素晴らしいことだよね。そう思えるようになったんだ。なーんてね、大げさかな」
「まぁ、人生訓の授業までやって頂いてたのね。今度お礼しに行かないと」
「そうだね。今度菓子折り持ってお家まで行こうよ。先方にも予告してあったから」
 ふふふっと二人で顔を見合わせて笑う。
 そして先にゴールインしたにも関わらずあたしに順番を譲ってくれた短距離走者にお母さんを明け渡すことにした。「紀明、お待たせ」
「痩せたんじゃないのか?」
 後ろで控えていた紀明は、あたしと入れ替わりで向き合うなりお母さんの頬に触れた。
「そんなことないよ。帰国間際はバタバタして忙しかったけれど」とお母さんは微笑んだ。
それから深々と頭を下げて、「二年間も家を空けてすみませんでした」
「いいって。俺だって後の一年は飛ばされてたことだし。けどな、由莉。覚えてるか? 二年前、お前を送り出した時に言ったこと」
「しっかり覚えてる。忘れるわけないでしょ。『これが最初で最後だからな』って」
「そうだ。だから……もう、どこにも行くなよな」
「うん。どこにも行かない」
 紀明はお母さんの肩を抱き、栗色の長い髪を優しくなでた。お母さんはうっとりとした表情で紀明の胸に顔をうずめ……って、
「エヘン、ゴホン、ウフン、ゲへッ、ゲホゴホゴホゲホ……(咳払いするふりをしすぎてむせた)あの、そこのお二人さん。仲むつまじいのはいいけどそろそろ高校三年生の娘の存在も思い出してほしいんですけど」
 単身赴任帰りの新婚さんかっての。
 あぁやだやだ。また子供放置でこんなのをしょっちゅう見せつけられる毎日が始まるかと思うと……
嬉しくってたまらない。
「はは、悪い悪い。じゃ帰るとすっか」
 紀明はお母さんのスーツケースを引きながら意気揚々と空港出口に向かって歩き出した。
「今日は美味いもん食いに行こうぜ。久しぶりに日本に帰ってきたんだからやっぱ和食だよな。寿司にするか?」
「えー、あたし鰻がいい」と紀明の後を追いかける。
「この間食ったばっかじゃねぇかよ」
「いいじゃん、また食べたいの。あ、お母さんは何食べたい?」
「ふふ、何でもいいわよ」
 空港を出ると、朝から降り続いていた雨がやんでいた。久しぶりにカラリと晴れていい天気。

♪かけがえのない、終わりのない物語……

 自然と思い浮かんだその一フレーズを、青空に向かって口ずさんでみる。

          *

 とってもいい匂いがする。バターの甘い香り。
 枕元の目覚まし時計が指している時間を見てぎょっとした。でもすぐにほっとした。そうだ、今日は土曜日だったんだ。
 体を起こしてベッドから降り、いい匂いの発生源を目指してあたしは自分の部屋を出た。ダイニングルームのドアを開けると、キッチンに誰かが立っている。花柄のエプロンをつけて、おそろいの花柄のシュシュで長い髪をきゅっと後ろで一つに結んでいて。
「おはよう、千鶴」
 お母さんは振り返って微笑んだ。
 あたしは「おはよう」とだけ答えると思わずその場にたたずんだ。
 この幸せな朝が、また帰ってきたんだ……!
「朝ご飯、いつものでいい?」
「うん、いつものがいい」
 お母さんは焼き上がったフレンチトーストをフライパンからお皿に移すと仕上げに粉砂糖をふりかけた。それからコーヒーメーカーで濃い目に作ったコーヒーと牛乳を氷をたっぷり入れたグラスに一気に注いだ。パキパキッ……と熱いコーヒーで氷が溶ける透き通った音、おなじみの幸せな音。ガムシロップと、隠し味にカルーアをほんの少しだけ加えて出来上がり。リリィズ・バー特製アイスカフェオレ。
「いただきまーす!」
 これに旬のフルーツたっぷりのヨーグルトサラダを添えるのが染谷家の朝食メニュー。紀明にはハムエッグもつく。ねぼすけはほうっておいて、朝はお母さんと二人でおしゃべりしながら食べるのがお決まりの流れ。
「ねぇ、お母さん」
 先にダイニングテーブルについてフレンチトーストをパクつきながら、キッチンで紀明用のハムエッグを作っているお母さんの背中に話しかけた。
「なあに?」
「紀明との馴れ初めってどんなだったの?」
「えぇっ?」いつになくぎょっとするお母さん。「どうしたのよ、急に」
「ずっと知りたいと思ってたの。例の一件の時にさらっと教えてはもらったんだけど、藤崎家との関係にフォーカスされててうちの親父がらみの情報はほとんど得られず。紀明にも聞いてみたけど企業秘密だとか訳分かんないこと言って教えてくれないし、藤崎先生もさぁ何だろうな、なんていつもの調子で逃げるし」
「学校で変なこと聞かないの……あらやだ、ちょっと焦げちゃった。別に語るほどのこともないからいいじゃない」
「よくない。あたしは知りたいのっ。ねぇいいじゃん、教えてよぉ」
 そしてさらにもう一声。「あなたの物語、聞かせて下さい」
「……分かったわ」
 お母さんはふっと恥ずかしそうに笑うと、キッチンを離れてダイニングテーブルの椅子に腰掛けた。
 アイスカフェオレのグラスをマドラーでカラカラとかき混ぜながら、ゆっくりと話し始めた。
「2000年代始め。インターネットが普及して間もない頃のこと――」

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(2014/09/23)


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